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2010.10.30(Sat)

仁別森林鉄道跡を歩く その1

林鉄01 
仁別森林鉄道跡のサイクリングロードを自転車で行ってみようかな・・・と思い、
予約係の鷲谷に自転車貸してと言ったら、「もう寒くて今年は自転車で来ないよ~」。
仕方ない。歩くか。。。
さとみより秋田駅方向は、どこを走っていたのかまだ良くわからないので
今回は秋田温泉前より天然秋田杉が生い茂る仁別方面へ。
林鉄02 
現在、旅館前は新興住宅地になっています。
この住宅地の裏に森林鉄道跡地のサイクリングロード。
いきなりこわい。左側は住宅でも右側は山。
なんだか熊が出没しそう。
林鉄03
ほら~やっぱり熊が出るんだ~
あまりの怖さに携帯電話で音楽を流した。
その瞬間、犬に吠えられて余計ビックリした。
まだ住宅地なのにこのビビりっぷり。
はたして仁別までたどりつくのだろうか不安。
林鉄05 
旅館前の住宅地を抜けると秋田自動車道をくぐる。
林鉄07   
するとT字路になっているが、右折する道路は高速道路の管理用道路のようなのでとりあえず直進。
林鉄08 
トンネルを抜けると田んぼで視界が良くなった。
この田んぼ道で合ってるのかな?
紅葉している太平山を見ながら歩く。
背広に革靴。
既に足が痛くなってきたぁぁ。
林鉄09 
さっきからちょこちょここの距離表示があった。
おぉ、この道路で間違いなかったんだ。
この表示を探しながら行けば良さそう。
林鉄10 
この案内も所々にある。
これもつかえそう。
林鉄11 
ここもまっすぐ。
すると画像奥を左にカーブすると、旭川。
そこにほら、橋があります。
林鉄12 
自転車専用道路なので車両通行止め。
この橋、横から見ると
林鉄13 
ほらほら!路面の下!! 
見たことありませんか?
鉄道の鉄橋みたいでしょ。
これって間違いなく森林鉄道のプレートガーダーを再利用でしょ!
歩き1日目から森林鉄道が通っていた形跡が見つけられて感激(涙)
林鉄14 
橋を過ぎると県道15号線に。
線路跡がちょっとだけ道路に変身しています。
県道を仁別方面へちょっと行くと、見つけました。この行先表示。
林鉄15 
はい、再スタート。
右は田んぼ、左は山。
道路の舗装はきれいなので、雨が降っていないかぎり、革靴でも大丈夫。
林鉄16 
農道より高くなっているところが鉄道跡。
この辺も山の裾野に鉄道跡がありますが、旅館前の新興住宅地より怖くありません。
田んぼの向こうには車道があってクルマがブーブー走っているから。
林鉄17 
長田地区に到着。
なんだかここは人の家の敷地内を歩いているよう。
「すいませ~ん、通してくださ~い」と小声で言いながら玄関前を通過。
林鉄18 
次は「まつばら~ まつばら~」とは言ってなかったと思いますが、この松原地区には停車場があったそうです。
温泉に一番近い駅だったようなので、ここから歩いて来たお客さんもいたのかな?

革靴で疲れたから今日はおしまい。
おじちゃんの足は筋肉痛。
仕事にさしつかえる。(言い訳?)
雪が降る前に仁別まで行けるかなぁ?
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15:48  |  仁別森林鉄道  |  EDIT  |  Top↑
2010.10.28(Thu)

恐怖の滑走「ズル」

森林鉄道イメージ 
今回は仁別森林鉄道で一番の恐怖「ズル」についてです。

 森林鉄道の機関手にとっても、利用者にとっても、最大の恐怖は「ズル」と呼ばれる滑走だった。下り坂でレールが濡れていると、積荷の重みでブレーキが効かなくなる。予めブレーキ用の砂をまいていても効果は薄く、やがて暴走する。つまり車輪が回らなくても、軌動車はレールの上を滑走するわけで、それが長く続いて加速すれば、脱線-転覆の事態に。山を下る列車には貨車の列のところどころに四人の制動手が乗り、坂道にさしかかれば、機関手がレール上に砂をまくだけでなく、制動手もそれぞれブレーキ用の長い棒をレールと車輪との間に挟んで踏ん張る。それでも加速が限界(40キロ前後)を超えれば、手がつけられなくなり、機関手も制動手も脱線転覆の寸前、線路脇に飛び降りた。
 明確な記録はないものの、脱線転覆事故はしばしばあり、崩れ落ちた丸太の下敷きになって死んだ人や、丸太の上から落ちて引きずられ、死に至った人などがいたことは確か。多くの証言がある。
 こうした悲劇もあった仁別に昭和四十一年(1966)五月、県道が開通し、自動車が出入りするようになった。この日を待っていたかのように、森林鉄道も“全廃の急坂”を突っ走ることになる。ただ、見方を変えれば、上流地域は森林鉄道があったから道路開発が著しく遅れたとも言えよう。森林鉄道の功罪と評価は皆さんにお任せしたい。(秋田市旭川郷土史より)

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10:34  |  仁別森林鉄道  |  EDIT  |  Top↑
2010.10.20(Wed)

上流住民唯一の足

森林鉄道は人とモノの輸送生命線でもあった 
森林鉄道は人とモノの輸送生命線でもあった

仁別森林鉄道は、旭川の上流に住む人々にとって唯一の交通機関だった。
昔から車馬がなんとか通れる道は県都から松原までしかなく、秋田市営バスが添川まで来るようになったのは、昭和二十九年(1954)五月という事実がすべてを物語っていると言えよう。
従って、松原より奥の地域にとっては、かけがえのない足である。県都への用足しはもとより、生活物資の運搬、嫁入りまでも森林鉄道だった。営林署側も現地の実情に対応して列車の編成を客・貨混成とし、地元民には乗車整理券(無料)を交付した。
また、仁別国有林は秋田県内でも有数の森林、渓谷美を誇る所だけに、そこを訪れる行楽の人々、山菜採り、太平登山者にも森林鉄道はひんぱんに利用された。だから森林鉄道は山間辺地への文化運搬カーでもあったわけだし、地域の若い男女は機関手と保線手に憧れた。一族あげて営林署、担当区事業所勤めというケースも珍しくなかった。太平洋戦争が終結した直後の混乱期には資材難で鉄道が荒れ、しばしば脱線事故が起きた。その一方、ヤミ米などの運搬もひそかに行われたとの話もある。
運転期間は四月末から、十二月十二日“山の神”祭りの前後まで。冬の間、機関車は解体整備され、秋田駅東の車庫で“冬休み”をとった。(秋田市旭川郷土史より)

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08:46  |  仁別森林鉄道  |  EDIT  |  Top↑
2010.10.18(Mon)

仁別森林鉄道は明治41年から

秋田杉を満載した仁別森林鉄道 
秋田杉を満載した仁別森林鉄道

「昔、さとみ温泉の前を仁別森林鉄道というのが走ってたんだよ」と言われたのがきっかけで、最近、気になって仕方ありません。そこでちょっとずつ森林鉄道について調べてみることにしました。興味のない方はゴメンナサイ!

仁別森林鉄道の第一期敷設工事は明治四十一、二年(1908~9)の二年がかりで行われた。区間は秋田駅東の秋田小林区署(秋田営林署)貯木場から秋田鉱山専門学校(現秋田大学鉱山学部)のすぐ西脇を通って仁別林業事業所に至る12.314キロメートル。コースは途中から旭川の川筋に沿ったものになる。そのころ藤倉では秋田市水道部により上水道の水源堰堤、沈澱池などの工事が進められており、森林鉄道は資材運搬にも活用された。
大正二年(1913)、長さ400メートルのトンネルを掘って仁別から五城目町北の又まで7.578キロメートルの支線を新設し、さらに大正八年(1919)、仁別から旭又までの支線1.54キロメートルなどを新設した。この結果、ルートは秋田貯木場を基点としたY字型になったわけである。
仁別の軌道は最初、手押しトロリーによる運材。大正二年(1913)になってガソリン機関車が入り、それが太平洋戦争中のガソリン不足で木炭機関車に。戦後は再びガソリン機関車に戻り、やがてディーゼル機関車となった。結局、よそのように蒸気機関車はなかった。いま、仁別の森林博物館に展示されている蒸気機関車は、意外にも北海道丸瀬布営林署が使っていたものである。
秋田営林局の林道台帳によれば、仁別森林鉄道は昭和十八年(1943)に支線を1.888キロメートル延ばした。これにより総延長は23.32キロメートルになったものの、土木技術の進歩でトラック林道の開設が容易になり、また運材をより奥地から行う必要もあって林道に切り替えられた。この結果、仁別森林鉄道は昭和四十一年(1966)の1キロメートル廃止を皮切りに翌四十二年は20.82キロメートル、四十三年は1.5キロメートルと全廃になった。
この間、昭和三十三~三十五年(1958~60)にかけて従来より太い15キログラムレールとの交換が行われ、一部の木橋が永久橋に架け替えられるなど手当てがなされており、鉄道としてはかなり長命のはずだった。
それが廃止されたのは①林野特別会計のひっ迫②コスト的にも、小回りが利く点でもトラック林道が有利(経営合理化)などの理由による。止むを得なかったにしろ、いかにも惜しい。その後の仁別の発展(県都の奥座敷)、これからの大型リゾート化を思う時、もし存在していたら、全国的にも珍しい存在として大きな集客力を発揮していたのではないか。レール撤去後の鉄道跡地を歩行者専用道とするよりも、例えば第三セクター方式などで存続させていた方がどんなにメリットが大きかったことか―といった声を聞く。もっとも、歴史に「もし・・・」はないのだが・・・。(秋田市旭川郷土史より)

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